10/9、友人が逝去しました。棺の中で眠る彼を前に、私はただひたすら感謝の言葉を掛けました。

自分にとって、今年4度目の葬儀参列でしたが、これまで訃報等はここでは極力控えるようにしてきました。今回敢えて話題にしたのは、故人の名前を本ブログにて何度か登場させたことがあったから…なのです。彼とは大学時代にサークル内で知り合い、かれこれ20数年の付き合いでした。毎年この時期、そろそろ暖かいコーヒーが恋しくなってきたなあと思うと、すかさず豆を送ってくれたり、自分が聴いて気に入ったCDがあれば、わざわざ同じものを買って送ってくれたりと、とにかく気配りを絶やさない男でした。彼とは決して共通の趣味があるわけでもないし、何故これまで交流を持てたのかは、正直今でも判りません。実際のところ、彼とはよく衝突したものです。それがきっかけでより深い仲になれたのかも知れませんね。月並みですが、端的に言えば『気が合ったから』、なのでしょう。互いの人格に惚れていたから…なのかな?上手く言えませんけど・・・・・。

彼には、メインサイトのトイガンコーナーにて、ホルスター装着モデルになってもらったことがありました。当時彼が筋トレに夢中になっていたこともあり、腹の出た自分の画像を晒すよりは余程見映えがいいから、と言う単純な理由からでした。ご丁寧に何着ものスーツを持ち込んでくれて、このホルスターの色や形状にはこのシャツとパンツだろうとか、自らコーディネートもしてくれましたね。彼のHNもその場で咄嗟に考えました。苗字に「梅」という字が入っているので、英語のPlumを捩ってプラムマイナスゼロにしよう、プラマイゼロでどうだ、ゼロはどうかな~とか何とか、適当に決まったと思います。毎月数百人ではありますが、更新が止まった現在でも、閲覧して下さる方がいるのはプラマイ君のおかげなのです。



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今年の1月、私は仕事で顔面に怪我を負い、その様を冗談半分で写メにして送信しましたら、数分後に彼から電話がかかってきました。まだ入院中なんだけどー、と伝えると、申し訳なさそうに慌てて電話を切りましたが、その頃彼は既に告知を受けていたようです。退院して10日後くらいに、何事も無かったかの素振りで突然やってきたので、私はてっきり見舞いに来てくれたものだとばかり…。『自分の力で会いに来られるのは、これが最後になるかも知れないから』と。とにかく二人して泣きました。以来覚悟をするようにはなりましたが、やはりあの時が一番辛かったですね。友人とは言うものの、彼の日常総てを知っているわけではありません。とにかく気丈な男でしたから、例え日々の生活において不満を持っていても口にするようなことはなかったので、私には彼が今一番何を望んでいるのか想像も付きませんでした。病気に対して無力なのは分かっていますから、せめて自分に出来ることは何かないのか?と訊くと、「今まで通りに付き合ってくれさえすれば…それだけでいい。」と言われました。その日は遠慮せずに泣かせてもらいました。ただその後も何度か彼の顔を見る機会がありましたが、あの時を境に私は涙を封印したのです。

彼は私の趣味に対しても理解を示してくれており、いつもWFの直前には激励の言葉をかけてくれたものです。今夏も当日にメールを送ったのですが、その時もこっそり関東に住む妹さんに、私へ差し入れするよう託けてくれたりと、気の利いたサプライズに驚かされました。実は前年にもサプライズを計画してくれていたようなのですが、その頃にはもう病魔に侵されていたようで…。病状を受け入れ、そして他人に打ち明けるまでに、相当の葛藤や踏ん切りが必要だったと思います。今の私には到底理解出来ないでしょうけど…。

彼が入退院を繰り返していたことは、もちろん本人から聞かされていたのですが、結局一度も見舞いには行けませんでした。と言うか、行かせてもらえませんでした。入院先の病院名を訊ねても、長い名前だから良く分からないとか何とかはぐらかされました。いくらなんでも、それは有りっこないだろうと思いましたけど、これが本人の意思なら尊重しようと、わざと嘘に乗っかりました。また、病気の話は他の誰にも伝えないでくれとも言われ…。気丈な性格ゆえ、弱っていく自分を見せたくなかったのでしょう。本当にアイツらしいな、と思います。私ならおそらく、生前に知り合った人と最後に会えるだけ会いたいと思うところでしょうが、彼は自分のスタイルを貫き通しました。とにかく若い時から、自分に厳しい男でしたしね。


やがて病気の進行と共に投薬の副作用も酷くなり、視力にも障害が出てきたせいで、唯一の交流手段であった携帯電話でのメールのやり取りも、遂にはおぼつかなくなってしまいました。今月の2日にこちらから送ったメールが最後となり、それに対する返事が来ることはなかったです。初めて病気の件を聞かされてから丁度8ヶ月、とうとう恐れていた日が訪れました。苦しみの先にある楽が死であるのなら、それも素直に受け入れるべきだと思いました。だって、もう彼が苦しまずに済むのですから。過度の励ましも、本人にとってはさぞ負担であったことでしょう。最期まで良く頑張ったよね、プラマイ君。どうかゆっくり休んでください。本当にキミは良き友人でした。ありがとう。